ゲイとして生きている平凡な男

ゲイの方、ゲイに興味のある男性に読んで欲しいと思ってブログをはじめました。

最近のLGBTQムーブメントに思うこと その2

こんばんは。エゾマルです。

 

今回は「差別」に対しての「謝罪要求」について、思うことを書きます。

2021年6月のエゾマルの感情です(笑)

なんでこんな前置きをしているかと言うと、将来的に何かの要因で気持ちが変わるかもしれないからです。なので「2021年6月現在」と明記しておきます。

 

さて、本題。

「差別」されたことに対して、「NO!」と強く発信するのは必要なことだと思うし、それを声に出して言える人は凄いと思うし、とても尊敬します。

「傷ついたこと」

「不快に感じたこと」

「怒りの感情を持ったこと」

どれも伝えないと気づいてもらえないし、それが「差別」と知らずに発言されているかもしれない。

 

もしも誰かを不用意に傷つけてしまったなら、大抵の人は謝ると思います。

最近のムーブメントとしては、「差別発言したんだから謝罪しろ!」って展開が多いですが、私はこれに凄く違和感を感じます。

謝罪って本来、相手に対して悪いことをしてしまった自覚があるから、自発的にするものじゃないですか?

何が悪いのか自覚していない人に「謝れ!」と要求して、力でねじ伏せて謝ってもらったって、それに意味があるのかな?と思います。

 

LGBT差別発言に謝罪要求」という見出しのニュースについたコメント欄を読むと、すごくネガティブなコメントが多くて、主張の強さに比例して反発も大きくなっているように感じます。

 

ネガティブコメントの多くは、性的指向性的嗜好の違いが理解されていないように感じます。

私の性的指向はゲイなので、男性として性的魅力を感じるのは男性です。女性に性的魅力を感じられませんし、それを変えることはできません。

異性愛者に対して同性に性的魅力を感じろと言っても無理なのと同じです。

 

ゲイを性的嗜好と思っている人は、変態趣味の男好きで男とHしていると思っているようです。たばこをやめるように、ゲイをやめることができると思っているんでしょうか?^^;

 

変えることのできない性的指向を持つ我々セクシャルマイノリティーが、みんなと同じこの世界で「当たり前」に暮らしたいという思いを如何に理解してもらうか。

そう考えると、クローゼットでいるよりもオープンになった方がよりゲイを身近に感じてもらえるのかもしれないですね。

 

そして理解してもらった上で「やっぱりキモいから無理」と感じる人がいたら、それも多様性と一つとして受け入れることも必要なんだと思います。

「なぜか好きじゃない」という感情もまた、変えることはできないから。残念だけど。

 

ただ、それを理由に攻撃するのはダメだと思う。

「ゲイがキモい」という人がゲイに攻撃するのも、

「ゲイがキモい」という人にゲイが攻撃するのも。

嫌なら関わらなきゃ良いだけです。

お互いに幸せに暮らしていければいいですよね。

 

個人的に「謝罪要求」は攻撃に見えます^^;

 

何を差別と感じて、何に傷つき、何が不快で、何に怒っているのか、どうしたら根本的なところで理解してもらえるか…ってことですよね。

それを受けて、もしも相手が謝罪するなら、それこそが一歩前進なんじゃないかと思った次第でございます。

 

それでは、また!