こんばんは。エゾマルです。
私はよく「考え方がポジティブ」「前向きで大人」「悩みなんてないでしょう?」なんて言われることが多い。
これが生まれ持った性格なのか?改めて振り返ってみると、こうなったキッカケが思い当たった。
高校生の頃、クラスでとても仲が良かった友達がいた。
私の高校はビーバップハイスクールみたいな、いわゆる不良が多いクラスだった。
授業時間に暴走族がやってきて校庭をブンブン言わせながら周り、素行が悪くて中退した生徒は暴〇団に流れるようなそんな学校。
私たちは大人しいタイプだったので、スクールカーストでいうところの底辺の方。
それでも、不良は不良同士、それ以外はそれなりに高校生活を過ごしていた。
しかし、その友達は運の悪いことに、不良グループに目を付けられパシリとして使われることになってしまった。
そんなある日…
「俺よりもエゾマルの方が足が速いから使えるよ」
なんと友達だと思っていたそいつは、つらい現実を私に押し付けてきた。
パシリと言っても、昼休みにパンを買ってくる程度だったので、自分も購買でパンを買う日常だったため「ついで」に買ってくれば良いか、と1度引き受けてしまった。
それが運の尽き。
確かに足が速かった私は彼らにとってとても使いやすくて有能だった。
そしてパシリが日常化するどころか、不良たちがトイレでタバコを吸っているのを外で見張る役まで回ってくるようになった。
不良でもないのに不良グループの下っ端みたいな役回り。
勇気を出して「パシリも見張りもやらない」と1度断ったが、殴られこそしなかったものの壁に突き飛ばされて恫喝された。
話しが通じる相手ではないことを悟った。
私は友達だった奴を正直恨んだりもしたが、それ以上に人間不信になった。
「人は裏切るもの」という前提が、「人に期待しない」に変わり、「人任せにせず自分で解決する」に転じた。
初めは絶望して学校に行くのも苦痛になったが、親に心配をかけたくなくて誰にも相談できなかった。
どうしたら楽になるのか考えた。
一番短略的な自分が消えるという線は、はじめに除外。悪くない自分が消えるのなんておかしい。
奴らに消えてもらう線。物騒なことをいろいろ考えた結果、そんな奴らのために罪を背負うなんておかしいと除外。
そして「使いやすくて有能」じゃなくなれば良い、という結論に至った。
奴らに声を掛けられる休み時間は教室にいないようにしよう!
そして、チャイムとともに図書室へ素早く移動。ただそれだけ(笑)
なんと、たったこれだけでお役御免となった。
というのも、数か月もしないうちに悪い奴から順番に退学になったためだった。
残った不良たちは、話せば意外と良い奴らだったのもあって、平穏な日常が戻ってきた。
ただ、友達だった奴と友達に戻ることはなかった。
この多感な時期に学んだことは、「いずれなんとかなる」んじゃなくて「自分でなんとかする」ということ。
絶望し続けることや落ち込み続けるなんて耐えられないから、その状況を脱却するための作戦を考えて行動する。
待っていても誰かが助けてくれるなんて期待は持てません…ほら、基本はむしろネガティブ(笑)
つまり、根がポジティブというよりは、自分を守る手段としてポジティブになっているということです。
そしてこの経験はトラウマも残しました。
「人を信じることが難しい」ということです。
自分が傷つかないように、相手に深入りできないし、自分に深入りさせない性質がある。
自分自身で解決できることはポジティブに挑めるけど、相手があることだとどう仕様もなく難しい。
相手と信頼関係を築きたいけど、まず自分から相手を信頼することが難しい。
恋愛できない体質は、自分自身で解決できない問題の1つです。
好きになったとしても、同時に終わりを考えてしまう。
漠然とした幸せな未来の妄想だけは得意だけど、現実的に誰かと一緒に歩いていく未来が描けない。
なんて深刻に考え始めると、
「まぁ、独り身も気楽で十分幸せだけどね」なんて自己防衛ポジティブが起動しますw
本心は、なまら恋人募集中(笑)
それでは、また!