こんばんは。エゾマルです。
ゴールデンウィーク、あっという間に終わりました^^;
途中の平日は仕事だったので、あんまりゴールデンウィーク感はなかったですが(笑)
溜まってた録画したものを消化していたら、人とまったく会わなかった^^;
自炊をするようになってから家に食材もあるし、家から出る動機がなくなってしまい、自動的に引きこもりに(笑)
自炊する以前は、「晩飯食いに行くついでに飲みに出るか!」って気持ちになっていたのになぁ。
何事にも目的がないとなかなか行動できない。
飲みに行く→何のために?
ってなる。
行きつけの店なら、マスターと話しをするとか、常連さんや旅行者さん(って店のスタッフみたい?笑)と話すのも楽しいけど、家で好きなことしているのも楽しいから、動機としては弱くなる。
実際には、行ったら行ったで楽しんだけどねw
わざわざ行くまでが問題。
1人ですること、1人でいることがまったく苦にならないのが、自分的にどうかなって思う。
人といるのも楽しいけど、それ以上に1人の時間が楽しすぎるw
1人でいるときに「孤独」と感じることがまったくない。
むしろ、人といるときの方が「孤独」を感じる。
これって、相対的なことかもしれない。
2人でいるとき、1対1のときは「孤独」じゃない。だって、相手と向き合っているから。
3人でいるときは、少し「孤独」。自分以外の二人で盛り上がって話題に付いていけないときは、少し感じる。
4人だと、バランスが良い。歩くときは2対2になるし、カフェとか食事でも4人席だとみんなと話しができる。
5人はもう多い。自分がいる意味を感じられなくなる。と言うとちょっと大げさだけど、自分がいなくても成立しているし、歩いていても何をするにも1人多いから、その1人になった人が凄く気になるし、むしろ自分が抜けた方がいいかも。なんて思う。
だってほら、自分は1人でやりたいこともたくさんあるから。ここで離脱しても好きなことできるし。なんて思う。
それ以上の人数だと、いよいよもって自分がそこにいる意味を見出せない。ただのモブキャラでしかなくなる。
子どもの頃、自分1人が急にいなくなったって、世の中は何も変わらない。って考えていた。
そりゃ、しばらくは悲しんだりする人もいるだろうけど、少し時が経てば、自分のいない世界が普通になる。
小学生のとき、大好きだったお婆ちゃんが火葬されたとき、大号泣した後に思った。
お婆ちゃんのいない世界になったって、みんな前を向いて生きている。
だから、自分がいなくなったとしても同じなんだなって、少し寂しく思った記憶がある。
それでも、誰かの何かになりたいと思っているのかもしれない。
1人足りないなら入るし、1人多いなら抜けるよ。なんて、ちょっとドライなスタンスを取りがちだけど、本当は必要とされたいと思っているのかもしれない。
結局、「孤独」が嫌いなんだと気づく。
人といると「孤独」を感じるから、だから1人でいるなんて、ちょっと皮肉だねw
でも今は、1人の時間が楽しいからいいんだ。と言っておく(笑)
それでは、また!